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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)8299号 判決 1962年12月25日

原告 上村進 外三名

被告 国

訴訟代理人 宇佐美初男 外一名

主文

原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。

事  実 <省略>

理由

原告等主張の第一の(一)、(二)の事実は被告の認めるところである。

そこで、右事実中の各公務員(法務府特別審査局長、法務総裁、検察官、裁判官)の所為乃至処分が違法のものであつたかどうかに関する原告等主張の第一の(三)の(イ)の(a)の主張について考えると、団規令並びに政令第三二五号は、原告等主張のようにポツダム勅令(昭和二十年勅令第五四二号)に基き制定されたものではあるが、このポツダム勅令の法としての実質的根拠は、わが国がポツダム宣言を受諾して調印した降伏文書(特に同文書の三、五、六、八項等)に由来するもので、連合国最高司令官は降伏条項を実施するためには日本の憲法にかかわりなく法律上全く自由に自ら適当と認める措置をとり日本官庁の職員に対する指令を発して、これを遵守実施させることができる関係にあつたが、かような基本関係に基き、ポツダム勅令は、連合国最高司令官のなす要求に係る事項を実施する必要上、わが国の当時の憲法(旧憲法)第八条のいわゆる法律に代わる緊急勅令の方式を籍りて制定されたものであり、この勅令及びこの勅令に依拠する一連の法令は、わが国の憲法(新、旧を問わず)の規定を以て、その効力を律する余地のないものであり、従来の判例(最高裁昭和二二年(れ)第二七九号、判例集二巻七号七二二頁、最高裁昭和二四年(れ)第六八五号判例集七巻四号七七五頁等)がこの種の法令を以て日本憲法にかかわりなく憲法外において法的効力を有するものと認めなければならないと判示してきた所以である。

ところで或る所為乃至処分が違法のものであつたかどうかの法的価値判断を事後において判断するに当つては、特に判断時における事態の下になすべき特段の規定又は事情を認め得ない本件では、その所為乃至処分のなされた当時の法令の下に違法性の有無を判断すべきものであることは云うまでもないものであるところ、原告等主張の第一の(一)(二)第二の(一)の事実の存在日時当時においては、前示判例に見るも明なとおりポツダム勅令及びこれに依拠する団規令並びに政令第三二五号(なお、これらの政令が有効なことについては、直接その点を判示したものではないが、その有効なことを当然の前提としている最高裁昭和二五年(オ)第一四七号、判例集四巻七号二六四頁、最高裁昭和二七年(あ)第二八二八号判例集七巻七号一五六二頁等がある。)は、日本国憲法にかかわらず、有効なものであつたことは疑のないところであり、従つて原告等の第一の(三)の(イ)の(a)の主張ばかりではなく(b)の主張も理由のないものと云わなければならない。

原告等主張の第一の(三)の(ロ)主張事実については、原告等の指摘する各公務員の所為乃至処分が原告等の意図の下に、その主張の自由弾圧のために運用された事実を認め得る証拠はないのでその事実の存在を前提とする原告等の主張もその理由がない。

原告等はその主張の第一の(三)の(ハ)において、各公務員の第一の(一)(二)にあらわれている所為は被疑事実は実在しないねつ造のものであるから違法であるというので、この点について考察すると、

起訴前における公務員による告発、捜索、差押、逮捕、勾留並びに刑事訴訟法第八十一条(同法第二百七条による場合と思われるが)の処分は、何れも捜査又はその以前の段階にあるものであるから、被疑事実について、その存在を確信できる程度の証拠資料の完備していることを要件としているものでないことは明であるが、他方被疑者とされる人の人権を尊重すべきことは云うまでもないのであるから、以上の処分の要件としては、客観的に見て被疑事実の実在を思わせるに足りる相当の理由があることを要するのであるが、右の如き相当の理由があつたと認められる限り、当該処分をした担当公務員については、後日被疑事件が実在せず、又は少くも実在を確信させるに足りるだけの証拠が出て来なかつたとしても、その公務員が、その処分の目的を逸脱した意図の下に行動したものでない限り、その処分の違法性(被疑事実の実在しないこと、又は少くともその証明がないことになれば、客観的、結果的にはその処分は違法のものと云わざるを得ないが)について、故意又は過失はないものと云わざるを得ないのである。(もつとも告発については、それ自体は単に訴追を促すもので犯罪捜査開始の端緒たるにすぎないことを思えば、被疑事実の存在を思わせるに足りる相当の理由を要すると解しても、その理由の程度はその他の処分に比し、軽度のものでよいと思料されるが、その点はさて措く。

本件についてしらべてみると、当事者間に争のない原告等主張の第一の(一)(二)の事実と乙第一乃至第五号証の存在、証人柴田道賢の証言により原本の存在並びに成立の認められる乙第六、第七号証及び証人吉川光貞、高橋正八、柴田道賢の各証言を綜合すれば、連合国最高司令官は、昭和二十六年八月上旬、日本共産党鳥取県委員会発行の党機関紙「大衆路線」及び同党香川県委員会発行の党機関紙「香川党活動指針」を何れも「アカハタ」の同類紙と認定し、日本政府に対し、その発行停止のため必要な措置を執ることを指令したので、法務府特別審査局中国支局並びに四国支局の各係官は、同月十四日それぞれ鳥取市寺町桜土手所在「山陰タイムス」社内の同党鳥取県委員会事務所並びに高松市宮脇町所在同党香川県委員会関係機関紙の印刷所と認められた寺尾辰四郎方に臨み、停刊処置を執行するための捜索であるとして、これを実施したところ、前示鳥取県委員会事務所地下室板壁内より乙第一乃至第五号証の文書五通を、また寺尾方屋内の石油箱の中より乙第一乃至第四号証と日附の点を除いて同じ内容の文書四通を発見し押収したが、右各文書中乙第三第五号証の文書には作成名義として、日本共産党臨時中央指導部と表示されており、乙第一第二号証の文書には<中>指令乙第四号証の文書には<中>通達の記号で作成名義が表示されていたこと、

そこで、特別審査局の担当係官は右乙第一乃至第五号証の各文書は原告主張の第一の(一)の(1) 乃至(5) にそれぞれ該当する内容のものであり、そのうち乙第三、第五号証の各文書については、その作成名義を明白に日本共産党臨時中央指導部と表示しているが、乙第一、第二、第四号証の各文書はその作成名義を<中>とのみ表示しており、その内容も乙第三、第五号証の文書に比し、非合法性の強いものであり、且つその何れにも、T6、大学、高校、中学、小学なるゴム印の文字が押捺されてあり、特別審査局が予ねて入手していた資料よりすれば、T6はレポーター、大学は日本共産党地方委員会、高校は同党県委員会、中学は同党地区委員会、小学は同党細胞を意味する日本共産党の暗号であると思料される点等からして、#中は同党の当時の中央最高機関である臨時中央指導部を表示するものであり、これらの文書が場所を異にする前述の二個所より同時に発見されたことは、同党臨時中央指導部構成員が共謀の上、これらの文書を多数印刷しこれを前示鳥取、香川各県委員会外、全国都道府県委員会宛に送付しているものと推測したこと、

当時日本共産党から団規令による届出には、同党臨時中央指導部員は、推野悦郎外四名で、その中に原告等の氏名は見当らなかつたが、特別審査局においては、かねて同党では臨時中央指導部を補充強化するため、前記五名の外、新に原告等四名を含む十四名を同部の部員に加えたとの情報を極秘のうちに得ていたが、その情報中有力なものとしては同党で極秘文書として取扱われる党週報の昭和二十六年三月一日附文書に、同党の中央各機関の新構成員の氏名が掲載されており、そのうち臨時中央指導部については、前記五名の部員の外、新に同部会議議員として原告等四名を含む十四名の氏名が掲載されているとの情報であり、その情報は、「しかも同党の有力幹部より提供された点、当時における日本共産党の党内事情は、昭和二十五年六月六日同党の中央委員二十四名全員が公職から追放され、それに代るものとして臨時中央指導部員八名が任命され、その後五名に減じたが、党内が分派活動等のため紛糾しており、到底五名の部員では中央委員会に代るような活動ができないと見られていた点、前述の三月一日附週報の発行された前月の二月末に第四回全国協議会が開催されている点」等よりして信用度の高いものと思料されたので、特別審査局長は、原告等四名を含む臨時中央指導部員十八名が本件被疑事実についての容疑者であるとして、法務総裁の決裁を経て、資料として乙第一乃至第五号証、特別審査局調査部第三課長補佐法務事務官柴田道賢作成の報告書二通(一通は日本共産党臨時中央指導部の構成員の氏名を記載したもの、他の一通はその任命に至るまでの経緯を記載したもの)を添え、最高検察庁に告発したものであること、

右告発による捜査は、東京地方検察庁により開始されたが、同庁では検察官高橋正八が事実上の主任検事として、前述の柴田事務官から被疑事実を探知するに至つた上叙経緯につき説明を聴取したところ、特別審査局よりの資料は信用し得るものであり、従つて被疑事実はその嫌疑としては十分であるが、未だ公訴を提起、維持するには原告等四名を含む被告発者十八名が日本共産党臨時中央指導部員であること、乃至はこれらのものの間に共謀の事実のあることを立証できる十分な資料を発見しなければならないので、捜査の必要があるとの結論を得たが、当時日本共産党の党員の中にはその党員についての党活動に関連する犯罪の捜査を始めた場合、往往その所在を不明にすることがあつたので、逃亡の虞れもあり、且つ被疑事実が共謀にかかる事柄でもある関係から罪証隠減の虞もあるので、原告等四名を含む十八名の被疑者を逮捕し捜索押収を行う必要があるとの判断の下に、前示検察官は、特別審査局から差出され、送付を受けた本件被疑事実の告発状、乙第一乃至第五号証、並びに柴田事務官作成の前述の報告書二通を添え、東京簡易裁判所裁判官に対し原告等四名を含む被疑者全部に対する逮捕状並びに捜索、差押許可状の発付を求め、その請求を受けた各裁判官は、同検察官より乙第一乃至第五号証を日本共産党臨時中央指導部の作成に係るものとする根拠、被疑者等を右指導部の構成員であるとする根拠等について説明を徴した上、原告等が罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由があり、且つ捜索、差押の必要があるとして原告等に対する逮捕状並びに捜索差押許可状を発付し、原告等がその各令状の執行を受けるに至つたこと、

原告等逮捕後、各担当検察官の取調べがあつたが、原告等についての被疑事実の嫌疑は解けず、各担当検察官は、捜査を継続する必要があり、且つ共謀者と目されるものの大部分が所在をくらましていることと、原告等の取調べの結果の供述態度等に照し、罪証隠滅及び逃亡の虞れもあると判断し、原告等に対する勾留、並びに刑事訴訟法第八十一条所定の接見その他の制限を前述の資料を添えて東京地方裁判所裁判官に請求した結果その請求を受けた各裁判官は請求書に添付された資料につき各担当検察官の説明を受けた上、上敍各請求を理由があるものと認め、勾留状を発見し且つ接見その他の制限処分をしたこと、を認めることができてる。以上の認定と相容れない証拠はない。

上敍認定の事実からすれば、特別審査局長の告発当時においても、その告発の理由となつている被疑事実について、客観的に見て、その実在を思わせるに足りる相当の理由があつたものと云うべく、右告発後の逮捕、捜索、差押、勾留並びに接見その他の制限乃至禁止の一連の事実についての担当検察官及び裁判官の処分当時においても、刑事訴訟法第百九十九条、第六十条が、「罪を犯したことを疑うに足りる相当の理由」と表現している要件が具備されていたのみならず、その他処分に必要とされる同法所定の要件にも欠けるところがなかつたものと云わざるを得ないのである。

してみれば、上敍各公務員等に、各その処分当時、その処分の本来の目的を逸脱した意図の下に行動したことを認め得る証拠のない本件では、原告等に対する各本人尋問の結果中「原告等は当時日本共産党臨時中央指導部の構成員ではなかつた」との供述が、真実を吐露したものであつたとしても、本件の如き捜査の段階においては、各公務員の所為は、その所為が真実に反することを前提とする点において、後日客観的に違法なものであつたと判明したとしても、その所為当時においては、その違法性を知り又は知り得べかりしものとは云えないので、各公務員につきそのなした処分につき故意又は過失を認めることはできない。

従つて原告等の第一の(三)の(ハ)の事実は、たとえ、これを肯認し得たとしても(四)の主張は採用できないのである

次に原告等主張の第二の(一)事実は被告の認めるところである。

しかしながら公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令(昭和二十二年勅令第一号、以下公職追放令と称する。)はポツダム勅令に依拠する一連の法令に属し、連合国最高司令官の占領管理下においてこれら一連の法令が有効なものとされていたことはすでに述べたとおりである。元来連合国最高司令官が占領管理を行うに当つては、原則として日本国政府を利用し、日本国憲法によるその機能を通じて間接に権力を行使するいわゆる間接管理方式が採られていたことは原告等主張のとおりである。が、これとは別に、原告等のいう「留保された権限」の行使として最高司令官の日本国民を超えた権力を発動して、その指令を日本政府機関をして執行させる場合があり、この後者の場合においては日本政府機関は最高司令官に直属する占領管理機関としての機能を営むもので、日本国民に対し、日本国有の政府機関としての機能と職責とを以て臨むものではない。従つて日本国憲法の下に裁判権を行うわが国の裁判所も、政府機関のこの種の処分については、その法的判断をなす裁判権をもたなかつたのである。

さて、公職追放処分は、公職追放令の適用という方式で行われたものであるが、右法令は、最高司令官がポツダム宣言第六項の目的を達成するため日本政府宛に発した昭和二十一年一月四日附覚書「好ましからざる人物の公職よりの追放に関する件」に順応するため、ポツダム勅令に基き制定されたものであり、右法令の実施に当つては、最高司令官より内閣総理大臣に対し、公職追放処分に付すべきものを指定通知し、内閣総理大臣は、その指定のままに公職追放を受くべきものに、公職追放該当者として指定通知をしていたものであり、本件追放処分についても、証人吉河光貞の証言によれば連合国軍総司令部リソー民生局長は、昭和二六年九月四日内閣総理大臣官房監査課長岡田典一に対し日本政府に対する連合国最高司令官の指令として原告等を公職より追放すべきことを伝達したので、右指令により内閣総理大臣において原告等主張の如く追放処分をしたものであることが認められる。

してみれば、内閣総理大臣は、すでに述べたように、最高司令官の直属占領機関として行動したものであり、その処分当時における処分の違法であつたかどうかについては裁判所に裁判の権限はないのみならず、その追放処分は、国家賠償法第一条にいう「国の公権力の行使による職務を行つた」場合に該当しないものと云わなければならない。(最高裁昭和二三年(れ)第一八六二号判例集三巻七号九七四頁、一九四八年二月四日附連合国軍総司令部発、最高裁長官宛書簡参照)

上来説示したところにより、その余の点に関する判断をまつまでもなく、原告等の本訴請求は失当であることが明であるから、これを棄却する。

よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条第九十三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 毛利野富治郎 土田勇 佐藤栄一)

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